甲武信TVへようこそ!

(初冬の甲武信ヶ岳)

隣の木賊山(とくさやま)から望む、甲武信ヶ岳と三宝山

埼玉県民700万人の生活を支える命の源、荒川源流域は寄居町から始まる秩父盆地にあるといってもよいと思います。この秩父山群の中央を流れ関東平野を縦断し太平洋へ注ぎ、地域住民に潤いをあたえています。

荒川水源である最初の一滴は、秩父盆地の入り口から50km位上流部にある甲武信ヶ岳の懐から始まります。甲武信ヶ岳の標高は(2475m)深田久弥の日本百名山の一座となっております。位置的には日本列島のほぼ中央、富士山の真北(約60km)にあり、山梨県・埼玉県・長野県の県境でもあります。又、各県の代表的な河川の水源があります。南に駿河湾に入る、笛吹川・富士川、東に荒川・隅田川、北に日本で一番長い千曲川・信濃川を有しています。

(夏の甲武信ヶ岳)

(甲武信小屋)

甲武信ヶ岳から南東、埼玉県側に下った(標高約2350m)の所に甲武信小屋があります。ここから展望が開けていて荒川流域沿いの関東平野が一望できます。

小屋の脇に埼玉県が昭和61年に建立した荒川水源の記念碑が建っています。題字は当時の埼玉県知事だった(畑 和)氏が書いたものです。

当時、埼玉県では県誌の編さん事業をしており年間何度も荒川を調査遡行しておりました。その結果、荒川水源は甲武信小屋から20分ほど下った(標高約2250m)地点を奥の二股と定め正式に荒川水源源流点と正式に認定しました。

 

(小屋の脇に建立された荒川水源の記念碑)

題字は昭和60年ころの県知事、畑和(はたやわら)

(山中に咲くアズマ石楠花)

甲武信ヶ岳周辺の動植物

荒川水源周辺は原生林に囲まれていて、緑のダムといわれており、山頂まで樹林帯となっております。主な樹木は、コメツガ・シラビソ・トウヒ・ナナカマド・カラマツ・ダケカンバ・などが主です。また、初夏にかけてはシャクナゲなどが群落になって咲き誇り、登山者に安らぎを与えています。

鹿害、ここ10年くらい地球温暖化の影響なのか鹿の数が増えて枯れる木が目立ってきました。鹿は学習能力が優れていて繁殖力も旺盛で、カモシカの住家だった縄張りから追い出してしまい、今はカモシカが人里に出てきます。

水源付近に住んでる動物  鹿・テン・オコジョ・ヤマネ・くま・狐・リス。ひめねずみ・など見かけます。

 

(白山石楠花)

(荒川水源)

(荒川水源)最初の一滴

(荒川源流点)

荒川源流点

埼玉県が昭和61年、荒川総合調査にて認定した荒川源流点(奥の二股地点)

ここから、埼玉県を縦断して東京湾に注ぐ総延長173kmの水の旅が始まります。

甲武信小屋から約20分ほど下ったところです。うっそうとした原生林の中にあり、日中でも暗く感じるようなたたずまいです。

(山頂から富士遠望)

甲武信ヶ岳からの展望

山頂からは展望は良く、ちょっと移動すれば360度の展望が開けています。

南に富士山。西に中央アルプス・八ヶ岳、北に浅間山・北アルプス・尾瀬、東に秩父連山・関東平野・筑波山など、深田久弥の日本百名山を43座ほど天気の良い日は確認できます。

(甲武信小屋から望む関東平野)の夜景)

甲武信小屋テラスからの展望

小屋から南東方向に関東平野の展望が開けています。手前の明かりは秩父市の街並み、奥は、深谷市からさいたま市の辺まで一望できます。また、遠くは福島と茨木の県境にある、八溝山・筑波山・などの山並などが一望できます。

 

山中徳治プロフィール

昭和24年11月19日 埼玉県秩父市大滝で出生、現在70歳

昭和40年 大滝中学校を卒業 都内の親戚が営んでいた八百屋に就職。同44年退社 その後、様々な職業を経験する。

昭和59年 甲武信小屋に管理人として入り、現在に至る。今年で35年たちました。

趣味 写真撮影・ビデオ映像制作(クリエイター)

小屋ホームページ  https://secure.kobushigoya.net/koyagaiyou/course.php